惜しまれる政治家、谷垣禎一

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 谷垣禎一三といえば自民党において要職につき 自民党総裁として野党を

経験され自民党の暗黒時代を支えてこられながら

なぜか、総理に任命されることはなかった。

随所においてお人柄がしのばれる人望の厚さには尊敬される。

弁護士として活動中、父の急死でその地盤を継ぎ、1983年の補欠選挙で当選。(この時、自民

党所属の野中広務も同時当選。)父が所属した派閥である宏池会に長年の間所属(2012年の総

裁退任後は宏池会には戻らず)。自民党内で政策通の政治家として活動し、主に財政関係の分野

で活躍。 

2000年に起きた森内閣の倒閣運動であるいわゆる加藤の乱では、倒閣の中心人物で宏池会の領

袖でもあった加藤紘一が内閣不信任案の賛成票を単独で投じようとしたところ、「加藤先生大将

なんだから、一人で突撃なんてダメですよ!」と涙ながらに止めたことがあった。その場面が

谷垣の人物紹介の際に必ず触れられるシーンとしてしばしば紹介される。 

妻である佳子夫人とは司法試験を通じて知り合った。 

谷垣は東大卒業から7年後の34歳の時、7度目の挑戦で司法試験に合格したが、一緒に合格でき

なかった彼女に「僕のところに永久就職しませんか」とプロポーズしたとされる(佳子夫人は早

大卒)。谷垣との間に二女をもうけた佳子夫人は、温厚な人柄で、内助の功に徹し、夫との仲

も非常に良好だったという。死去の数年前から体調を崩し、谷垣自身も看病に当たっていたが

、2011年6月13日に死別(享年66)。 

趣味の自転車事故で車いすの生活をされているが

自民党にとって、谷垣さんのような温厚なお方が

今の自民党にはかかせまい。

車いすで選挙いただきたいとは思うがご自身の意思も大切。

     東京新聞より。

政治屋と政治家

夜回りで何度か都内の自宅を訪れたことがある。破綻した日本長期信用銀行の処理を主導した金

融再生委員長時代だったと思う。一つ一つの質問に、こちらが恐縮するくらい丁寧に誠実に答

えてくれたことを思い出す。

谷垣禎一さんが次期衆院選に出馬せず引退するという報に触れ、残念な気持ちでいっぱいだ。昨

夏、趣味のサイクリング中に転倒、大けがをした。総選挙は来年と予想してリハビリに努めて

いたが、突然の解散−来月総選挙となり、やむなく再起を断念した、と周囲は説明した。本人

の胸中は察するに余りある。

歴代の自民党総裁経験者の中でただ一人、首相や衆院議長など三権の長に就くことがなかった。

だが財政、金融、法務など政策面と人柄から数少ない真のステーツマンだった。

ステーツマンとは国民の畏敬の念を集める政治家を指し、私利や党利を追求するポリティシャン

政治屋)と明確に区別される。

では、このご仁らはどちらか。

首相のお友達に便宜が図られたかが疑われる問題の追及から逃げるかのように臨時国会の召集を

拒み、ようやく開くかと思えば審議なしに解散へ。自分たちに有利となるタイミングばかりを

考え、憲法の定めだろうが、権力側として守るべき節度や作法や矜持(きょうじ)だろうがお

構いなし。選挙に勝つためなら何でもありという人たちだ。政治屋か政治家か。選ぶ側の目こ

そ問われるだろう。(久原穏)