元米兵戦後72年を経て、戦死者の日章旗を家族に手渡す。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

戦後72年にわたり米兵だった「スト論墓参93歳」が

迫撃砲で戦死された日本兵の胸にきちんと折りたたまれた日章旗

大切なものとして我が家に持ち帰り

家族に手渡したいとの思いを強く持ってこられたと言う。

どうやら93歳の今日その深い思いが戦死者の弟さんに直接

手渡すことができどれほど安堵されたことであろうか。

戦地においては敵味方として狙撃戦を海兵軍として戦わざるを得なかったのであろう。

これは戦地で命の火花を散らした当事者同士でなければ解り合えるはずもない。

戦死者も生きてこの世に帰れないとの思いで出征されたのだと

72年後に弟さんは語られている。

不条理な戦争に臨まなくても戦地に向かわなければならなかった兵士に

思いの言葉も見つからない。

このような兵士の無念の心中に接するとき、戦争は決してしてはならない。

軍隊に、兵隊としての役割はまして担わせてはならない。

米兵であった「スト論墓参」の終戦はいつまでも心の大きな

傷口を背負い続けてこられたかしれない。

日本の平和憲法は永遠でなければならない。

   朝日コムより。

【戦後72年】「日本兵は強く、紳士的だった」 寄せ書き日の丸返還の93歳元米兵ストロン

ボさんの“日本愛”に称賛・感動

長年の苦悩を背負い続けた元米兵は、約束を果たした安堵(あんど)からか、慈愛に満ちた表情

に変わっていた。米西部モンタナ州に住む元海兵隊員、マービン・ストロンボさん(93)。

「必ず家族の元に返す」。先の大戦の戦地サイパン島で、日本兵の遺体から日章旗(寄せ書き

日の丸)を持ち帰り、73年の時を経て初来日し、願いをかなえた。遺骨や遺灰もなかった遺

族は、帰ってきた日章旗を「宝」と呼び、むせび泣いた。「73年後の奇跡」のニュースへの

反響も大きい。(社会部 天野健作)(※8月21日にアップされた記事を再掲載しています)

狙撃兵として激戦地へ

精悍(せいかん)な顔付きとピンと伸びた背筋。来日直後の記者会見で見せたストロンボさんの

かくしゃくたる姿は、かの戦地を駆け巡った雰囲気を醸し出していた。

「多くの人が殺され、そして命を落とした。非常に悲惨な光景だった」。ストロンボさんは戦時

中、海兵隊の狙撃兵として、サイパンテニアン、タラワという激戦地で戦った。

1944年7月ごろ、サイパンに上陸してしばらく歩いていると大砲があるのを目にした。興味

を持ってじっと眺めていると自分の隊から離れてしまった。すぐに追いかけようとしたが、気

がつくと日本陣営の前線に立っていた。

足元には刀を持った日本兵の遺体が眠っているかのように横たわっていた。遺体には傷がなく迫

撃砲にやられたと察知した。胸元にはきれいに畳まれた旗。

「この旗が非常に重要な大切なものだと見て取れた。だから持って帰るのは罪悪感があった。し

かし、もし私が持って帰らなければ、永遠に戦地で失われてしまう。いつかどうにかしてこの

旗を家族の元に戻すからと約束した」

旗は、自宅のキャビネットのガラス戸の中に飾って大事に保管した。自宅を訪れる客の目に触れ

るようになっていた。子供たちも喜んで一緒に写真撮影したりしていたという。

ストロンボさんは今年3月、旧日本兵の遺品の返還に取り組む「OBON(オボン)ソサエティ

」に相談した。日章旗には「武運長久(ぶうんちょうきゅう=出征した兵士の無事がいつまで

も続くこと)」と大書され、約180人の署名があった。その中の42人が「安江」姓だった

。神社の宮司の協力もあり、旗の持ち主は、安江姓が多い岐阜県東白川村の安江定男さん=享

年(25)=だと分かった。旗に署名した6人がいまだ健在だということも明らかになった。

「兄のにおいがする」

「長い間、待っていました」。8月15日、東白川村でストロンボさんを出迎えた安江さんの弟

、辰也さん(89)はそう切り出した。

互いの兄弟姉妹や近況に触れながら、「若いときのあなたもハンサムだったでしょう」と辰也さ

んが向けると、ストロンボさんも「そうだろうね」と冗談を言い合うほどすぐに打ち解けた。

辰也さんはふいに「私は兄に代わってあなたに話をしているようだ」と漏らした。

日章旗の返還は感動的な場面だった。ストロンボさんから直接受け取った辰也さんは旗に何度も

顔を埋めながら、涙をにじませて「兄のにおいがする」と話した。

辰也さんは「この旗に、定男の『武運長久』を願いながら記名頂いた180人の皆様の『しっか

りやってこいよ』『きっと帰ってくるんだぞ』という気持ちの真心が通じて、帰ってくること

ができたと思っている」と話した。

辰也さんによると、兄の安江さんとは日本を離れる前日、面会した。短い時間で終了5分前とい

うときに、兄は声を潜めて「南の離れた島にいく。生きて帰れそうもないが、お前たち3人(

兄弟姉妹)で力を合わせて、両親のことを頼んだぞ」と話したのが最後だったという。

辰也さんはストロンボさんにこう声をかけた。「いまあなたの国と日本は世界に冠たる友好国に

なっている。旗をうちの宝にして、大切に長く長く伝えていきたいと思っている」

読者からの手紙

このニュースには称賛の声が相次いだ。

ネットでは「93歳を国賓で迎えろ」「互いに命をかけたものでしか分からない世界」などと好

意的な意見が並ぶ。「戦争したことのない韓国がアレなんだもんな」と、何度も過去を持ち出

し日本に対し“歴史戦”を挑む韓国を揶揄(やゆ)する意見もあった。

《(記事を)読むと胸がいっぱいに。日章旗は無形英霊と思います。心からストロンボさまのご

苦労と平和の友情に感動して感謝します》

東京都練馬区の徳永光さん(59)は産経新聞にこのような手紙を寄せた。

手紙は《慈愛和平の心境は大切です》とした上で、《長年の約束を守ってお疲れさま》とするス

トロンボさんへのはがきも託した。

約束を果たし、帰国直前に取材に応じたストロンボさんは17日、「ようやく旗を返すことがで

きてすばらしい気持ち。正しいことができたのだと感じた。少しも後悔することはない」と言

い切った。

そして「戦争中は敵同士だったが、戦時中でも私は日本兵に対して一定の敬意を持っていた。日

本兵は強く戦い、忍耐深く、戦い方が非常に紳士的だった」と語った。

旗の橋渡しをしたオボンソサエティの共同代表、敬子・ジークさん(49)=米オレゴン州在住

=は「こんなに奇跡的なことは最初で最後かも。退役軍人で健在な人もいるが、来日されるま

での方はいないでしょう」と話していた。

寄せ書き日の丸 先の大戦では出征にあたり、家族や知人らが武運長久を祈って日章旗に署名や

メッセージを寄せ書きし、多くの日本の将兵は受け取った日章旗を肌身離さず身に着けて戦地

へ赴いた。一方、連合軍の将兵らは戦火に倒れた日本の将兵が持っていた日章旗を戦利品とし

て入手。故郷へ持ち帰った。その後、日章旗の返還を希望する旧将兵やその遺族が出てくる一

方、近年は国内外のインターネットオークションで売買されるケースも増加、問題となってい

る。