山梨事件は氷山の一角。

     ご機嫌いかがでしょうか。

視界ゼロのミコばあちゃんです。

 山梨県のこのたび、市長および

可愛い息子の親でもある中学校長のお粗末劇場には

21世紀の教育もここまで来たかと言葉を失ってしまう。

 一番の犠牲者は、可愛い息子のお願い採用に他ならない。

このような子育てがまかりなっていること自体将来の危うさを予知しているとしか言えない。

なぜ可愛い子供には旅をさせない

いや、子供可愛さというよりじぶんかわいさかもしれない・・・。

校長の息子の就職先があまりにもお粗末様では自分の自尊心が

許されなかっただけのことかもしれない。

まさに「親ばかちゃん臨、蕎麦屋の風鈴」などと揶揄されても仕方がない。

まさに教育現場のトップとして、これからの時代を担う子供たちの育成を担う立場でありながら

、その教育精神はどうなっているの?

骨のある教育者も中にはおられるはずだ。

高度成長期に当たり一番欠如しているのが人間性の構築そのものである。

総理の問題もこの山梨問題と何ら変わるところがない。

本音と建前が真逆であれば日本経済を立て直す力などなえてしまう。

だが、現場において、一審に身を投じてくださっているお方も限りなくおられる。

社会の単位でもある家庭から人間作りを始めるほかないのではないのか。

人間性があまりにも未熟すぎる。

 総理も9月の臨時国会の先送りを市「人づくり改革」の看板に

すり替えようともしている。

記者会見においてあれほど反省を言葉にしながらその中身は何ら変わることなく

数の力を背景に臨時国会の運営を図ろうとしている。

 山梨県の就職問題の犠牲者は校長の息子さんである。

社会に出て、一人歩きもできない人は社会の波に押し流されてもしまう。

息子さんが可愛いのであれば、自己中心的な考えではなく、本当の意味でも

息子さんの将ライに正面から立ち向かうのが翻意であろう。

    東京新聞より。

来に真正面から立ち向かっていただきたいものです。 

8月23日のコラム

「あたりき車力車引き」「言わぬが花の吉野山」「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」。言葉

遊びの「無駄口」。一種の語呂合わせで、何かの一言に語呂の良い言葉を加え、おもしろさや

威勢の良さをまぶす。映画の寅さんがよく使っていたが、最近はあまり聞かれない。

「親ばかちゃんりんそば屋の風鈴」。親の欲目や過保護を冷やかす、この無駄口はまだ使われて

いる方だろう。『蕎麦の事典』によると宝暦(一七五一〜六四年)ごろ、江戸の町に屋台に風

鈴をぶら下げたそば屋が登場したとあるが、これとの関係か。

「親ばか」も控えめな風鈴の音ほどなら笑いの種にもなる。されど、ここまでくると親ばかの親

とばかの順をあべこべにしたくもなる。山梨県山梨市の職員不正採用事件である。

中学校長が自分の息子を市役所に採用してもらおうと当時の市長(収賄容疑で逮捕)に現金八十

万円を渡したとして贈賄の容疑で逮捕された。

子どもを等しく扱うべき立場を忘れ、わが子ばかりはと裏口採用を頼む校長とそれを請け負う市

長。古い社会派ドラマも顔を赤らめる展開である。これが二十一世紀の日本とは、頭を抱える。

いたたまれないのは採用された息子だろう。息子の将来を心配したのかもしれないが、とどのつ

まりが息子を傷つけている。その「あたりき」がなぜ分からなかったか。風鈴の音が寂しく聞

こえる。