平和ある日々に合唱。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 終戦記念日が来ても、両親さえ、戦争とは無縁の時代の子供たち。

関心を寄せる子も少なくなってきました。

 シベリアでの抑留当事者のお話に触れ、今日ある今に感謝です。

これからの時代を担うべき若者が、兵隊として意思にかかわらず徴集され

戦地に送られ、多くの大切な命が残酷な環境のもと戦地で散らざるを得なかった

無念さは、いかばかりであったろうかと思われる。

 また抑留者としての使命はあまりにも過酷としか言いようがない。

まして、シベリアといえば、自然の厳しさの戦いもあったであろう。

抑留者として、飢餓、寒さ、労働といった劣悪の中でよくぞ帰られ

ただただ、最敬礼であります。

 敗戦からこの高度成長期を共に過ごされ、戦火に散った多くのお仲間が

随所で思い返され断腸の思いが拭い去れないのではと推察します。

 今の時代を見るにつけ、抑留生活のお話に封印されてきたことは

それなりに理解ができるような気も致しております。

今の幸せに、改めて合唱したく存じます。

    東京新聞より。

「平和のありがたみを実感して」 旧ソ連軍に2年抑留、土浦の円城寺さん語る

戦争を知る世代が高齢化しているため、土浦市立博物館は本年度から、市民約七十人から聞き取

った戦争体験を本にまとめる作業を始めた。旧ソ連軍に約二年間も抑留された経験を持ち、聞

き取り調査に協力した同市手野町の円城寺良一さん(94)は「平和のありがたみを実感して

ほしい」と話している。 (宮本隆康)

円城寺さんによると、一九四三年に二十歳で陸軍に入隊し、満州で敗戦を迎えた。旧ソ連の影響

下にあったモンゴルに移動。鉄条網に囲まれた収容所で、れんが造りなどの過酷な労働を強い

られた。

九月から川は凍り、冬の気温は氷点下三〇度になった。すきま風が吹く宿舎の床で、外套(がい

とう)を来たまま眠った。わずかな食事と水しか与えられなかった。春になると、芽を出した

雑草を摘み、ゆでて食べた。シラミがびっしり体に付いたが、飢えと寒さのあまり、かゆみは

気にならなかった。

労働のノルマを果たせない人は、見せしめに縛られて外に放置され、夜明け前に死んだ。宿舎内

でも、朝起きると、仲間が栄養失調で死んでいることが度々だった。骨と皮ばかりの遺体は、

埋葬できず山積みにした。

「つらいなんてもんじゃない」と振り返る抑留生活の後、ソ連軍の審査などを経て四九年十一月

に帰国した。あと数日で死亡扱いになる寸前で、自宅に戻ると驚かれた。「出征は大勢の歓声

で見送られたのに、帰りは寂しく惨めだ」と思った。

「あんな思いは自分の胸に納めておけばいい。体験した者にしか分からない」と考え、最近まで

家族にも話したことはなかった。それでも、市立博物館に頼まれ、今月十日に約三十人を前に

体験を語った。「若い人たちには、今の生活の幸せを自覚してほしい」と願っている。

   下記は小学生の読書感想文です。(白旗の少女)

食べたいものが食べられたり、家で眠ることが出来たり、テレビを見たりできる。このように暮

らすことは私たちにとって当たり前に存在する。これらは日本では当然の事ではないでしょう

か。私は『白旗の少女』を読むまではそう信じて疑いませんでした。

2、

 『白旗の少女』は姉の本棚にあって、小学校のころからその表紙だけは良く目にしていました

。当時は題名だけ見て読んでみたいとも思わなかったのですが、今年、一人暮らしを始める姉

からもらったのを機に読んでみました。この本の話は1941年12月8日に始まった太平洋

戦争を背景に、沖縄県に住むある家族の末っ子である、松川富子さんが戦火をくぐりぬけなが

ら生き抜いていくというお話です。私は3人姉妹の一番下なので富子さんの兄弟に対する気持

ちにはとても共感しましたし、想像もできないような恐ろしい状況下で生きて行く富子さんの

姿にいつの間引き込まれていきました。 

3、

私たちは普段の生活で自分の命を心配したり、大切な家族や友達を失うようなことはめったにあ

りません。平和が当たり前になっている今の日本が70年ほど前には戦争をしていたとは私に

は想像すらできません。しかし、約4年間の戦争中に日本人だけで18万8千人以上の尊い

が犠牲になっています。今こうして生きていることをとても幸せだと感じられます。富子さん

は太平洋戦争で家族の半数以上を亡くします。しかもお兄さんは自分のすぐ隣で流れ弾に当た

って死んでしまいます。こんな体験をしたら、次に死ぬのは誰なのか、目の前のあの人だろう

か、それとも自分だろうかと不安な気持ちの連続だったに違いありません。  戦争中は多く

の人がこんな不安の連続の中で生きて行かなくてはいけないのでしょう。今も世界のどこかで

戦争が行われていることを考えると、とても恐ろしくなります。何も悪い事をしていない人が

次々に殺されていきます。誰が戦争を続けようとしているのでしょうか。戦争はいつ終わるの

か分かりません。私たちの日常ではすぐに明日が何事もなくやってきます。でも戦火の中の人

たちには明日が来るとは限りません。来たとしても不安と恐怖が続くのです。

4、

戦争は何のために行われるのでしょうか?勝つことが目的なのでしょうか?国同士の争いで犠牲

になるのは戦争を始めた人たちではありません。戦争をせずに世界を変えてきた偉人たちがい

ます。言葉で世界を変えることが出来る。それを彼らは教えてくれています。いま、私たちは

昔よりも自由に簡単に言葉を世界に向けて発発信ることが出来ます。私は逃げ回る富子を唯一

迎え入れてくれた夫婦のおじいさんの、  「富子のやさしい気持ちは、とてもありがたい。よ

くぞ、わしたちといっしょに死にたいといってくれた。でもなあ、富子。おまえは、まだまだ子

どもなんだ。体だってじょうぶだ。だから、死ぬなんていう言葉を口にしてはいけない。元気

を出して、しっかりしなければいけないよ。富子、この世でいちばん大切なのは、人の命なん

だよ。命だよ。」 と言う言葉に心を大きく動かされました。命の尊さと、どれ程の助けがあ

って自分が生きているのか、今の平和な日々があるのはなぜなのかを改めて考えさせる大切な

言葉だと思うからです。今の生活の中では普通に生きることが幸せと思いがちです。でも本当

はこの世に生を受けたこと自体が幸せなのではないのでしょうか。もし、誰かが亡くなってい

たら、もし、違う行動をしていたら、今、自分はこの世に生まれていないかもしれない。そう

思うと、今生きていて、世の中が平和であることに感謝しなくてはいけないと思います。

 私も〈白旗の少女〉ヨミはしましたが

このような立派な感想文などとても程遠く感じます。