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複合世帯はお宝です。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

家族構成といえば今では各家族は当たり前。

じじ、ばばとは暮らし外の存在でお金をいただくときのみに顔を合わせるだけ

なんて家族形態も当たり前のライフスタイルとなっています。

 ミコばあちゃんも各家族でした。

我が家はにわか農家でもあったことからおばあちゃんがよくきて

農家の手伝い、しょくりづくりなど泊まり込んでよく手伝ってもらっていました。

おばあちゃんは長男夫婦との暮らしでした。

 人生における終末期はがんンを発症し、二年余りの闘病を家族で支えてもらい

嫁に行った娘たちが入れ替わりで介護を支え穏やかな最期を看取られたと思う。

引き受けた長男夫婦も大勢の客人の世話に至るまで本当に

よく当たり前のごとくやっていたことを 幼い私の中にも鮮明に記憶にある。

御人に出会う旅に、姑さんの中でお過ごしのお方はすぐにわかる。

御人に対する配慮がまるで違っている。

その子供までもそのやさしさ気づきなど自然の中で身に着けてもおられる。

複合世帯はいろんな我慢、いろんな譲り合い、老いの不自由さ加減もつぶさに見れることなどか

らも、いろんするのではなかろうか。

マスメディアなどでは姑問題が良くクローズアップされてはきたが

社会の単位である家族の在り方はのちの国負担の軽減も含め

年寄りに余剰人工的な扱い、人手不足などいろんな利点も考慮してほしいもの。

 でもこのようにわがまま放題になった状態をどう修復するかは100年以上もかかるのでしょ

うね。

人の思いやりは教育よりも人から身に着けるものと思えています。

     朝日コムより。

な気づきが身につき社会に出てもいろんな体験が仕事なども支えたりするのではお別れの便りは

わずか5行… じじとの文通「私の宝物」

さいたま市の瀬戸くるみさん(14)は3年前、祖父に初めて手紙を書いた。

「元気かな? 早く春になってあったかくなるといいね」「じじからの返事まってます!」

すぐに神奈川に住むじじから返事が届いた。

「最高のお手紙ありがとう」「くるのお手紙を楽しみに待ってるよ」

11歳の孫と、70歳のじじ、桑野正勝さんとの文通がはじまった。

くるみさんが花柄のレターセットに学校のことを書くと、じじは無地の便箋(びんせん)にびっ

しり感想をつづった。本、音楽、テレビドラマ……。口下手なふたりも、週1回の手紙ではお

しゃべりになれた。

くるみさんが遊びに行ってピアノを弾いても、じじは目を閉じて黙ったまま。次の手紙で、「感

動しました」。

文通をはじめる直前の2014年2月、じじは末期がんと診断されていた。「じじを励ましたい

」。くるみさんは文通に願いをこめた。

そんなじじは、長年の夢に挑戦していた。ブドウ栽培。県庁を退職後に故郷の岡山に家を借りた

。黒ブドウのピオーネの木を2本植え、治療を続けながらも通い、育てた。

「朝5時30分に起きてハウスに行きます」「散歩から帰ってピオーネの顔色をうかがうよ」。

くるみさんへの手紙に情熱がにじんだ。

秋、実がつき、くるみさんの家にも届いた。小粒で見栄えも良くなかったが、「とっても美味(

おい)しかったよ! 来年も楽しみにしてるね」。くるみさんはそう記した。

でも、翌年、ピオーネは届かなかった。じじからの便りも、滞りがちになった。

昨年9月、1カ月半ぶりに絵はがきが届いた。乱れた文字で、5行。「生徒会の活動も大活躍、

これからもがんばって下さい」。じじからの、お別れの便りになった。

ふたりが交わした手紙は、2年半で160通。

今年3月、じじの遺骨は岡山の墓に納められた。くるみさんからの最後の手紙も添えられて。

「じじは文通で色々なことを教えてくれたよね。全部、全部、私の宝物です。また会える日まで

待っていてね」(岩崎生之助)