田中内閣が伝えるもの。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 昭和46年からの田中内閣の打ち出した「日本列島改造論」には

国民のほとんどが何か変わるかもしれないと思えた一フレーズでした。

 田中ビジョンは大きなうねりと流通の流れを確かなもの歳

衝撃的であったのが新幹線の誕生でした。

そして何より、生活実感の変化でした。

昭和46年ころより給料のアップには誰でもがほくそ笑むほどの

給料を家に持ち帰ることができたのではないのでしょうか。

時代を読む力は田中内閣にはあったのだと認めざるを得ません。

経済成長をもたらし暮らしの安定はまさに政治の力と言えるのでは

ないかと思わざるを得ない。

中国との国交復興にも深く新たな道を開いたのも田中内閣。

政治活動はまるで特急並み。

 歳移転の流れも止められないことは、議院の選挙区は地方にありながら選挙活動は東京のため

地方に思いをきたすことなど少ないのではと感じてしまう。

     山陽経済より。

【話の肖像画】元通産事務次官・小長啓一(1) 列島改造論の思いは今に生きる

〈10月の衆院選自民党が大勝した。昭和46年から3年5カ月、通商産業相と首相を務めた

田中角栄氏に秘書官として仕え、その政治手腕を間近で見てきた小長氏は今の政治に何を思う

のか〉

田中さんの原点は新潟県に生まれた郷土愛と戦後復興です。通産相の秘書官になって間もない頃

、田中さんに出身地を聞かれ、「岡山です」と答えると「雪はロマンの世界だよな」とおっし

ゃった。意味が分からずにいると、こう続けられた。「川端康成の小説『雪国』のように、ト

ンネルを越えると雪景色が広がり、料亭で雪を眺めながら酒をめでる。君らにとってはそんな

感じだろう。だが俺にとって、雪は生活との戦いなんだ」。国土開発に関して生活実感に基づ

いて長年取り組んできた田中さんとでは理解の深さが全然違うと思い知らされましたね。「も

っと勉強しなくては」と田中さんが作った33本の議員立法都市政策大綱を読み込みました。

田中さんは、自民党総裁選に出馬する直前の47年6月に「日本列島改造論」を出版しました。

当時は都市の過密と地方の過疎が顕在化していた。道路や鉄道網、空港や港湾をもっと地方に

つくり、東京への「人、モノ、カネ、情報」の流れを地方に大転換すると打ち出した。安倍晋

三政権の「地方創生」も方向性は同じではないでしょうか。列島改造論は狂乱物価と呼ばれた

地価高騰や第1次石油危機に見舞われて実現しませんでしたが、その思いは今に生きていると

思います。目指した「一日交通圏、一日生活圏」も、後の政権でほぼ達成されました。

ただ、根底にあった「1億総中流」の思想は、グローバル化の現代では実現しにくい。一部の人

が富み、中産階級下流化する米国的な現象が生じています。安倍首相も次々と対策を具体化

しておられますが、田中さんだったらどんなダイナミックな政策に踏み切るだろうか、と考え

ることはありますね。

〈小長氏も関わった「日本列島改造論」はベストセラーとなり、全国的なブームを起こした〉

私を含めた執筆チームの作業は1日6時間、4日間にわたる田中さんのレクチャーを聴くことか

ら始まりました。田中さんは開口一番、強調された。「明治の先達は偉かった。日本はまだ貧

乏だったのに全国に小学校をつくり、鉄道を敷いた。経済大国になったわれわれも次世代のた

めに思い切ってインフラを整備し、不均衡な発展を改めないといかん」

列島改造論は発表後、盛り上がりを見せ、審議会の設置計画を公表したら全国から150人も応

募がありました。それに比べれば今は熱気に欠けますよね。中堅・若手官僚の7割が首都圏出

身だし、政治家も選挙区が地方にあっても東京で生まれ育ち、東京の大学を出た人が多い。生

活実感として地方をよく知らないのでしょう。安倍首相は地方を熱心に回り、知る努力をされ

ているので期待しています。(聞き手 田中一世)

【プロフィル】小長啓一(こなが・けいいち) 昭和5年12月12日、岡山県生まれ。28年

に岡山大法文学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省した。46年7月〜49年1

2月、田中角栄氏の通産相と首相時代の秘書官を務めた。その後、通産省官房長、産業政策局

長を経て59年に事務次官。退官後は日本興業銀行(現みずほ銀行)顧問を経て、平成元年、

アラビア石油副社長、3年3月、社長。15年、持ち株会社AOCホールディングス社長。1

9年に弁護士登録し、島田法律事務所(東京都)に所属している。一般財団法人産業人材研修

センター理事長も務める。

医療費の乱用にはなっていませんでしょうか?

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 国保の負担額は都道府県に一任されている。

もうこれ以上国保は支払えないくらいのところまで膨れ上がっている。

高齢化率と、医療費の関係は切り離せないところまで来ている。

ごみ収集のおじさんに聞いたことがある。

薬を捨てている人が多くあると。

 いつでも死にたいと言いつつ通うのが命の確保の病院である。

年寄りの病院通院の自粛はあってよいはず。

がん治療などの高額医療費は欠かせないので

行かなくて良い病院の自粛は終末医療のため

少しの我慢力も期待したいものである。

どのようにお金がかかろうと,終末医療にだけは手厚くあってほしいものです。

私は熱があっても風くらいなことでは医者にかかることなどない。

だからほとんど医療のお世話になることはない。

柔道整復師による保険医療も毎日のように通院している人にも

自粛は求めたいものです。

近年この治療院のなんと多いいことか。

病院に集約してもよいのではと思う。

あまりにも毎日通う必要性を感じない人まで在るから行くといった傾向も

ブレーキです。

医療費は大切に無駄には使用はしないで頂きたいものです。

     山陽新聞より。

国保の県移管 急な保険料上昇は心配だ

国民健康保険国保)の運営主体が来年4月、市町村から都道府県に移る。慢性的な赤字を抱え

国保の規模を大きくすることで財政を安定させる狙いである。これに備えて、岡山県は先月

国保の運営方針をまとめた。

国保は75歳未満の自営業者や非正規労働者、無職の人ら約3200万人が加入している。会社

員が入る協会けんぽ健康保険組合より高齢者が多く、医療費がかかる。一方で、低所得者

多いため保険料収入が少なく、2015年度の赤字総額は約2800億円に上る。

加入者が3千人未満の小規模国保が全体の4分の1を占め、人工透析などで医療費がかさむと財

政が途端に悪化する。医療の進歩で高額の抗がん剤などは増えており、制度の見直しが求めら

れることは確かだろう。

来年度からは県が国保特別会計を設け、市町村の納付金や国庫負担金、県繰入金などで医療費

を賄うことになる。気掛かりなのは加入者への影響だ。被保険者証の発行や保険料の徴収は引

き続き市町村が行うものの、保険料の算定方式が変わるため、額の上昇が心配されている。

現在は市町村が決めているが、新制度では都道府県が市町村の医療費や所得水準を基に納付金と

ともに保険料の目安を示して、それを参考に市町村が決める方式になる。

岡山県が8月に示した試算によると、県内では岡山、倉敷市など13市町が16年度と比べて増

額となった。県平均も1人当たり年10万2千円弱と、医療費の増加などで4千円余り増えた。

一般会計からの繰り入れで保険料を低く抑える市町村もあるとはいえ、共同通信の調査では全国

の市区町村の35%が来年度、保険料が上がると予想している。

保険料負担を抑えるには、岡山県が全国で5番目に低い28・7%(15年度)にとどまる特定

健診(メタボ健診)の受診率アップなど医療費の適正化も求められる。国保の見直しを、効率

的な医療体制を築くきっかけにもしたい。

厚生労働省は、こうした取り組みや財政への支援として来年度、自治体に計1700億円を配分

する方針だ。急激な保険料上昇にならないよう万全の措置を講じてもらいたい。自治体も制度

の見直しについて住民へ丁寧に説明して、理解を得るよう努めることが大切である。

国は将来的に、都道府県内は同じ保険料に統一することを目指している。岡山県がまとめた運営

方針は、来年度から直ちに統一する状況ではないと否定する一方、将来は統一を目指せるよう

中長期的に検討するとしている。

ただ、同じ保険料にするのなら、受けられる医療も公平でなければならない。医療の地域格差

できるだけ減らし、どこに住んでいても均質なサービスを受けられる環境づくりにも努めるべ

きだ。

政党交付金は廃止すべきではないのか??

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 政治家の資金集めの一つにパーティ券がある。

それに企業献金政党交付金とどれほどあつめているのだろう?

またどのようにこのしきんがうんようされているのだろうか?

自民党が集める企業献金は4年連続トップの野党とは比べるべくもないほど多く集めている。

これはなにをいみしているのだろうか?

多くのパーティー券の収益もあり潤沢であることからも

税金が投入されている政党交付金は中止すべきであろうが

これが議院からも一言も出ないことは残念です。

企業献金を税収に変えてほしいものです。

企業からの税金はしっかりどんどん徴集願いたいものです。

労働者あっての企業のように思えるのですが・・・。

企業収益を賃金に還元すべきです。

     朝日コムより。

パーティー券 「透明化」の流れに背く (12月5日)

政治家の資金集めパーティーへの資金の出どころが極めて不透明だ。そんな実態が、昨年の政治

資金収支報告書の本紙による分析で分かった。

安倍内閣の閣僚のうち17人が昨年、在任中に計56回パーティーを開き、約7億4千万円の政

治資金を集めていた。

納得できないのはその94%、7億円近くは誰が支払ったのかが不明ということだ。

56回のうち26回ではパーティー券購入者の記載が一切なかった。菅官房長官は1年で760

0万円、稲田元防衛相は2400万円を得たが購入者の公表率はゼロだ。

こんな不透明がなぜ許されるのか。政治資金規正法が、パーティー1回につき20万円以下の購

入者は、個人や企業名を収支報告書に記載しなくてよいと定めているからだ。

一方、規正法では、寄付については年額5万円を超えれば個人や企業名の記載が義務づけられる

。同じ閣僚17人が昨年受けた寄付の総額約5億8千万円のうち、93%は寄付者の名前や住

所が公表されている。

これに対し、パーティー券は購入者が匿名で資金提供しやすいうえ、政治家にとっては、補助金

を受けるなど寄付が制限される企業からも調達できる。双方に利点があり、政治団体の収入源

の主役になりつつある。

現状は政治資金の透明化をめざす流れに背く抜け道に、パーティーが使われているようにしか見

えない。法の不備である。

規正法は冒頭、その目的をこう定める。政治活動を「国民の不断の監視と批判の下に」置くこと

で、「政治活動の公明と公正を確保」する――。

政治家への資金提供は本来、すべて国民に公開されるべきものだ。少なくとも、パーティー券購

入も寄付と同じく、5万円超の場合は収支報告書への掲載を義務づける法改正が必要だ。

もうひとつ問題なのは、閣僚らに大規模なパーティー開催の「自粛」を求めた大臣規範に反する

可能性があることだ。

強い職務権限を持つ閣僚の政治活動について、透明性と中立性を保つための措置である。

ところが、安倍首相は3回の朝食会で6800万円、麻生財務相は1回で6360万円を集めて

いた。これでも「大規模ではない」というのか。

共産党を除く各党には、年額300億円を超す税金が政党交付金として渡されている。

政治資金パーティー与野党を問わず広がっている。透明化に背を向け、税金との二重取りを続

ける現状は許し難い。

平成天皇、ご退位に寄せて

      ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 此のたび平成天皇の「ご退位」が明らかになった。

戦後の混乱期から今に至る変動期を日本の象徴としての役割を

誠心誠意お勤めいただいたと思います。

国民もどれほど随所において支えられたことでしょう。

戦死者への思いもまた深くされていたことが国民にどれほどのいたわりを

もたらされたかしれません。

また、ご自分の意思とは関わらず政治の具としての公務までお勤めいただいたのだと思います。

 多くの災害被災地にどれほどの真心をお届けいただいたかしれません。

ただただ穏やかレアレトノ祈りを込めて、ご訪問いただいた各所のお方に明日の祈りもさらなる

願いとして被害者のお気持ちにどれほどの涙を届けられたことでしょう。

また友人が草取りのご奉仕に皇居に出向いた際においてまで、

「もういつ死んでもいい」と言わせるまでのご接待に感激の涙を届けられておられます。

真心が失われかけている今の日本にあって、静かに伝え続けていただいてもいます。

どうかご退位後は、思いに任せたお過ごしでありますように。

     東京新聞より。

憲法と平和 体現の29年 憲法学者樋口陽一さん

天皇陛下が2019年4月30日に退位されることが、1日の皇室会議で決まった。翌5月1日

に皇太子さまが新天皇に即位し、平成に代わる新しい元号が始まる。平成の時代を象徴天皇

して歩んできた陛下。その活動へ接した人びとの目に、象徴とはどのような姿に映ったのか。

 元号でモノを考える習慣のない憲法学者樋口陽一さん(83)は、日常生活も論文も西暦で

語る。平成が始まった一九八九年といえば、東西冷戦終結やフランス人権宣言二百周年が思い

かぶ。しかし、「平成は」と問われれば「今の天皇のほかにない」と言う。「昭和天皇がや

り残されたことを平成の三十年間で一つ一つ果たされてきた」と考えるからだ。

 天皇陛下は一九九二年十月に、歴代天皇として初めて中国を訪問した。中国は三年前の天安門

事件で国際的に孤立。この時期の訪問は「天皇の政治利用」と批判された。

 中国での晩さん会で陛下は「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期があり

ました。これは私の深く悲しみとするところ」と述べた。樋口さんは「昭和天皇がやり残した

ことを成し遂げた」と評価する。

 翌九三年に歴代天皇として初めて沖縄を訪問。八一年夏の記者会見で、日本にとって重要な四

つの日に終戦記念日、長崎と広島に原爆が投下された日と並んで、沖縄戦終結した日(六月

二十三日)を挙げた。

 樋口さんは「六月二十三日は当時、左派の知識人でも重要な日とは思っていなかった。そのこ

とは、現天皇が平和に対する非常に強い感受性を宿していることの証左」(仏紙「フィガロ

今年六月二十四・二十五日付)と論評している。

 今の天皇、皇后両陛下に初めて会ったのは、日本学士院会員となった翌年の二〇〇一年夏で、

皇居・宮殿での昼食会に招かれた。昭和天皇時代と異なり、両陛下と皇族方は各テーブルを移

動して懇談。「被災地で膝をついて住民たちに語りかけられる姿に通じているように思う」と

樋口さんは語る。

 陛下は即位後の八九年八月の記者会見で「国民と共に憲法を守ることに努めていきたい」と述

べているが、その後の記者会見でも「憲法順守」を繰り返し表明している。そのことを、樋口

さんは「自由や民主主義を大切にし、戦争を起こさないように、という集約的なメッセージ」

と受け止めている。御所に招かれたりした折にも、陛下の言葉から憲法への思いを強く感じる

という。

 戦後の代表的な憲法学者宮沢俊義(故人)は「天皇は『ロボット』的存在」と形容した。天

皇の行為を内閣の統制下に置き、天皇の政治的行為を防ぐとの趣旨だが、樋口さんは「政府に

よる天皇の政治利用を防ぐという意味で、今は逆にロボットにさせないことが必要だ」と考え

ている。

 政治利用の例として、一三年に安倍内閣が開催した「主権回復の日」式典を挙げ、「沖縄県

事が欠席するような集会に天皇、皇后両陛下を引っ張り出して、最後に(天皇陛下)万歳三唱

を唱和した」と憂える。

 自身にとって平成とは何か。そう問うと、樋口さんはこう返してきた。「明君を得て象徴天皇

制を安定に向かわせた時代。本当は明君がいらないのが国民主権の原則だが、明君に頼ってい

るのが現状です」 (編集委員・吉原康和)

東京新聞

中国・釣魚台国賓館に到着し、児童に出迎えられる両陛下。天皇陛下の訪中は「政治利用だ」と

いう批判もあった=1992年10月23日、北京市内で(星野浅和撮影)

非国民の子、作家「林えいだい」、

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 西日本新聞は、作家「林栄大」の逝去に当たり

その知られざる功績を、多くの紙面を割いて記事にしている。

 林さんのお父さんは神主であったが九州、山口から逃れた韓国の

炭鉱労働者をかくまい特高警察の拷問の末命を落とされたと言う。

戦前戦中にあっては、わが命の保身に懸命になるのが当たり前の時代

このようなお優しいお気持ちと命を引き換えにされたお方もおられたことに驚きます。

 神主を親に持つ作家の林さんは、たちまち、

非国民としての扱いの暮らしを余儀なくされることになる。

 生涯を筑豊作家として世の脚光を浴びることの少ない作品ともいえる

国家に振り回され、疲弊しきった民の側の歴史的背景を取材を通し

訴え続けた根底は、父の無残な詩であったと思われる。

 今の世にあって、このような生涯を過ごされたお方を知ることだけで

豊かな気持ちにさせていただけます。

記録映画 (あがらう)として昨年完成しているようです。

「非国民」の子

2017/9/7

九州のブロック紙西日本新聞はその人をしのび、1ページの半分以上を割いた。先日他界した

筑豊の記録作家、林えいだいさん。記者が評伝に書いている。図書館以外の本棚では林さんの

著作を見掛けた覚えがない、と

さもあろう。九州や山口の炭鉱で労働を強いられた朝鮮人、公害、特攻隊員や風船爆弾など取材

テーマはどれも重い。売れ筋には程遠かった。国家に振り回され、虐げられた民の側にばかり

、なぜ目を向け続けたのか

林さんを追い、昨年公開された記録映画「抗(あらが)い」で本人が語っている。「私は、非国

民の子どもなんです」。神主の父は炭鉱から逃げ出した朝鮮人をかくまい、特高警察の拷問の

末、息絶えた。その無念が、歴史の闇を掘り起こす作品の原点という

聞き取りと体験取材にこだわった。ネット検索や文字情報に頼る人間からすれば、無駄が多く泥

くさい。明治の足尾鉱毒事件を追った際は、政府への請願に被害農民が上京した約80キロの

道をたどり、心情に迫っている

「抗い」のホームページに肉筆が残る。<歴史の教訓に学ばない民族は結局は自滅の道を歩むし

かない>。幻となった次作は芸南の毒ガス島、大久野島が舞台だったと聞く。

     中国新聞より。

軍艦島は語る。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 戦争は、いろんな国々にいろんなそれぞれの爪痕を

いろいろな形で伝え続けている。

 恥ずかしながら韓国のことをどれだけ理解できているだろうか。

本当に差別行動は何もなかったのだろうか。

植民地としての思いにどれほど心を手向けてきたのだろうか。

やんふは韓国人の象徴なのではあるまいか。

日本人としての郷土愛もあるだろう。

でもそれを言うならばもっと勧告を知るべきではないのか。

記憶が薄れるほど前に軍艦島には触れている。

炭鉱労働者の実態は厳しい環境は日本人にあってもあったはず。

軍艦島はさらに残酷で地獄の世界そのもので何度この本を閉じたいと思ったことか。

でもそんな中唯一救われたのが仲間同士の人情愛であった。

 韓国の中学生が(軍艦島)に感想文を寄せている。

私自身歴史は無学そのもの。

今一度相手の立場に立ち、相手側の思いに触れてみたいと思う。

日本の植民地を体験した側にとっての

広島、長崎の原爆投下は、はたしてどう移ったのだろうか。

引用文です。

韓水山 作家の5冊になった小説‘カラス’を読んで私は‘強制徴用’が何であるかについて考

えてみた。 '強制徴用'が何かと今の大多数青少年に尋ねるなら、この歴史を知っている人がど

れ程になるのか? いや、その‘強制徴用’という話にどれくらい辛い僕たちの民族の歴史が隠

されているのか、その仕事のためにどれくらい多くの人が犠牲になったのか知っている人はあま

りないだろう。 我が国の辛い歴史に対して知らないのはおそらく私の同じ年頃の青少年が学校

近現代史を習わなかったためであろう。歴史を知ることは現在の自分がいるに至る過程を知る

ために大変重要なことであるが、この国は正しい歴史を教えなかったし、習うことができなか

ったのが今の僕たちの青少年の現実だ。

歴史小説‘カラス’. この本は本読みが好きな僕にも5冊という本の重さが大きい負担になった

のだが、実際に読んで見たら数日目で読み通すことができた。

この本の主な背景は‘地獄島’端島だ。そこでとても苦しい仕事をした私たちの民族を見れば心

が辛かったり日本に対する憎悪心まで生まれる。

カラスを読んでみると‘ユン・チサン’という人が出てくる。チサンは兄ハサンに代わって強制

的に徴用に引っぱられて端島に行くことになった。そこには数千いや数万人の朝鮮人徴用工が

居たが彼らを見て心が非常に辛かった。彼らもすべて人なのに、日本人朝鮮人関係なくすべて

人であり、全く同じ権利を受けなければならないのが当然だが、彼らが人としての扱いも受け

られず無理やり働かなければならないというのを見てまだ私たちの民族に正式に謝罪をしない

日本がとてもくやしかった。

私はカラスを見てソヒョンとチサンの離別の場面を見てとても切なかった。

そのように愛する仲なのに、このように急ぎ別れなければならないという辛さが私にとても切な

く迫った。残念だけれど日帝がいくら朝鮮を抑圧しても朝鮮人の血筋は切ることができないと

いうことを感じた。

チサンが端島に行く前、元からそこに居たミョングクと彼の友達らがいたが、その友達らが脱出

をして行き、何名かが冷たい死体になってもどって来た事件があった。

日本の労務係らはそれを見て彼の友達を呼び調査をするが、ある朝鮮人がいた。チャン・テボク

という炭鉱で働く男だ。串で首を刺してケガさせる事件が発生する。私はこの事件を見て‘日

本人たちがどれくらい朝鮮人をタクタラ?で苦しめればこんな事件が起きるのか? 朝鮮人は普

通、他の人々に被害を与えないようにするのではないか?’と考えた。誤った考えではあるが、

‘日本人たちは本当に悪い。’という認識を持つようになった。

チサンが端島に行ってミョングクとウソクと同じ同僚達に会う。その同僚らは異郷で会ったお互

いを信じて頼れるとても大切な同僚である。炭鉱に入って一緒に炭を掘って毎日毎日繰り返さ

れる日常ではあるがその中で彼らがお互いを慰める姿を見ながら私は果たしてあんな友達がい

るだろうか? という疑問を越えて私たちの民族は本当にすごいと感じた。

そのような中でウソクとクムハは禁じられた恋をする。ウソクは徴用工でクムハは遊郭で仕事を

した人すなわち満州や東南アジアにいた慰安婦と似たようなものだ。たとえ禁じられた愛では

あるが私はその愛が、間違ったことだと思うこともなかったし、どんな愛より純粋で美しいと

思った。その理由はその愛が真実な愛であるためだ。私はこの部分を見てこんなことを思い出

した。‘日本のいかなる力でも朝鮮を完全に征服できない、いやその小さい端島一つの朝鮮人

たちも完全に支配することはできない。そのために禁じられた恋をし、そのために私たちは解

放されたのだ。’と考えた。

そうして端島での一日はとても速く過ぎ去っていった。働きながら死ぬ事故も頻繁に起き、脱出

して溺死する事故が発生しても日本人監督官らはハナから補償してやろうとはせずに、してや

らなかったのを見て、日本人たちが私たちを犬さえもできない働く機械として考えたり、私た

ちを何と考えていたのかについて疑問を抱いた。

ある日韓国にいたチサンの妻ソヒョンがミョンチョを産む。その便りを労務系に伝え聞いたチサ

ンはとても喜ぶ。そしてチサンだけでなく彼の同僚たちみんなが与えることさえ出来ない自分

の賃金を集めてスルメを買ってみんなで祝ってくれる。多少言葉は荒いがまったく頼るものの

ない状況で事が起きれば、当然にそのようなささいなこともとてもうれしく受け入れられるも

のだ。私はこれを見て互いに考える心とそのような友達がいるということがとても感銘深かっ

た。

そんなある日チサンとその一行は脱出をする。泳いで端島から長崎まで・・・・・. 死ぬかも

知れない葛藤の状況でここで死ぬのか、あそこで死ぬのかという気持ちで脱出を敢行する。も

し私ならばそのようにすることができたのだろうか? 私ならばどのようにしたのだろうか? 考

えてみると正解が出てきた。もし私ならば脱出することができなかったろう! という正解が出

てきた。これが正解かどうか分からなくて私がおくびょう者かも知れない。だが、今私はそのこ

とを体験してみることができなかったために仕方ないことなのかも分からない。

だが、チサンと一緒に脱出をしたウソクは惜しくも岩に当たり足を使えなくなって一緒に脱出で

きなくなる。私は脱出をできないウソクが痛ましくて哀れだけれども一方ではかえってうまく

いったという思いもした。なぜならその島には彼が愛するクムハが居たし、ウソクが離れれば

クムハがどうなるかは推察が可能だったからだ。

ウソクが脱出に失敗して、私の考えどおりウソクが脱出に失敗したことを知らないクムハは同僚

のミョングクに遺書を残して自殺する場面を見てから‘いっそ最初から脱出をせずに、クムハ

もウソクも互いに愛する仲なのだから、いや、愛する者同士なのでウソクをこの地獄のような

島にまた来ないように自殺したのだろうか?’という二つの観点で分けてずっと考えるようにな

った。私はずっと考えて見たら‘ウソクを愛するクムハの心が自殺をしたのだ’という二番目考

えが合うようだという気がしたし、クムハは誰より志があり、たとえ遊郭にあっても、‘もし

朝鮮の良い家で生まれたとすれば、とてもすごい人であったろう’という気がした。

軍艦島端島. 高層建物が並んでいて朝鮮人が強制徴用にきて働くようになった炭鉱だ。この

建物の高層には日本人たちが、日光が入らない低いところには朝鮮人が生きるそのような差別

が激しいところであった。私がもしその島にいたならばどのようにしただろうか? 反抗をした

のだろうか? でなければストライキを起こしたのだろうか? 私は二つともできなかったようだ

。そのために彼らがすごく見えたのだ。

軍艦島端島からチサンが脱出した後に朝鮮人徴用工達が団体でストライキを行った。私はこの

ストライキを単純なストライキと見ない。このストライキ朝鮮人が日本に繰り広げる独立の

闘争と同じだ。そのような意味で僕は朝鮮人徴用工はすでに命を差し出したも同然と考える。

僕は彼らが非常に勇敢に思えて僕ならそのようにできそうにないと考えた。

チサンは泳いで気を失って海辺に倒れていた。その時ある一つの日本人夫婦が彼を助けたし働き

口まで知らせてくれた。僕はこの部分がカラスで最も感銘深く読んだ部分であった。この話は

僕に‘日本人たちは無条件に悪い。’という偏見を捨てるようにしてくれた特別な部分だ。常

に歴史の本や本を見れば日本人たち全部私たちを抑圧して働かせる、そんな悪い存在しか出て

こなかった。だが、私はこのような親切な日本人たちもいたんだね! という気がした。

その時端島ではウソクとその一行が再び脱出を敢行する。私はそれを見て‘死ぬ場合も多いがい

っそ解放される時まで待つのがより良いのではないだろうか?’という考えになったが彼らは日

本と朝鮮の内部事情を分からない彼等を見ればこの脱出を理解できるだろう。この部分を読めば

誰でも緊張するはずだ。‘果たして脱出に成功するか? 今回は何の問題ないだろう?’という

考えた。そのような私の心配が顔負けにウソク一行は無事に脱出するのを見て‘アー 良かった

’という気がした。僕は‘日本はどこまでも日本だ。’という考えになるようにした主な原因

はやはり日本どこにもある‘炭鉱’と‘工業所’だ。

三菱工業所. 日本の戦争に使われる武器と戦争用品をつくる所. ここから炭鉱でない工業所で

の物語が始まる。炭鉱と工業所は違おうか? いや、私は違わないと見る。そこでも朝鮮人は差

別されて無視されるはずだ。ひょっとして‘端島の日本人と労務系だけそうするのではないか?

’という考えは外れたなと思った。

一日一日が過ぎ去って毎日空襲警報が鳴る長崎の空. そこで数百,いや数千人の朝鮮人が働いて

いた。朝鮮人は人ともしなかった時代というものを見せるのはやはり‘差別’だ。ある日チサン

が出て行ってきた中に空襲警報が鳴って日本人防空壕に避けることになるのにそこで単に朝鮮

人という理由で叱られた物語だった。

いったい日本人と朝鮮人の差異は何か? 国であろうか? でなければ人種であろうか? 違う。単

に植民地民という(のは)その理由一つのためにこのように蔑視されて差別を受ける社会にな

ったとのことを私は容認できない。

何年か前に日本、九州地域にある墓地に行ったことがある。そこはある日本人の家族の墓紙なの

に墓地に入る入口に小さい石ころまたは、碑に名前が彫られている墓があった。その碑石の主

人はすぐに日本人の愛玩犬. そのすぐそばには墓の形もなくて、碑もなくただ小さい石ころが

いくつか置かれている地域があったがそこに朝鮮人が埋まっているといった。死んだ朝鮮人を埋

める所がなかった朝鮮人が夜中にこっそりと尋ねて行ったので死んだ後に名前さえも刻むこと

ができず、それでそこに誰が埋められているのかも分からないと伝えられている墓だ。それな

朝鮮人は愛玩犬よりも劣るものであるということではないか! 僕は考えれば考えるほど気持

ちがあまりにも良くなかった。

1945年8月長崎に核爆弾が投下される。この爆弾一発で日本は崩壊することになる。僕は日本が

犯した誤りに比較すればこれは何でもないと考えたが、そこにあった朝鮮人と捕えられていた

中国人捕虜を考えると胸が少し痛かった。

日本は崩壊して朝鮮は解放される。しかし僕は終わらなかったと見る。朝鮮にいらっしゃった慰

安婦おばあさん達、そして日帝時代に強制徴用になって引きずられて行って帰ってこられない

朝鮮人の方々、関東大地震の時、虐殺された6,661人の朝鮮人に日本が正式に謝って補償をして

上げてこそ、この問題が終わるのだと見る。

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ぐるなびの世相の今年の一皿は「鶏のむね肉料理」でした。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

今年の世相を反映した一皿料理は鶏の胸肉とか。

むね肉といえばパサつくことでもも肉が好まれていますが

麹に着けおくことで、素材が柔らかくサラダなどにも使用され

健康志向も手伝って高たんぱく低脂肪が人気になっているようです。

ではクックパットよりミコばあちゃんのお好みメニューです。

鶏胸肉で塩麹と柚子胡椒で味付け、美味しいおかずになりますた。♪♪♪ 

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材料 (2?3人分) 

鶏胸肉

1枚

塩麹

大さじ1

柚子胡椒

小さじ2

片栗粉

大さじ1

大さじ1

ポン酢

大さじ1

サラダ油

大さじ1

1

鶏胸肉全体をフォークて刺して塩麹をまぶし、一晩冷蔵庫に置く。 

2

鶏胸肉を一口サイズのそぎ切りにして、柚子胡椒をからめてから、片栗粉をまぶす。 

3

フライパンにサラダ油を入れて中火にかけ、鶏胸肉を焼いていく。両面に焦げ目がついたら酒を

回しかけ、フタをして弱火にする。 

4

五分ぐらい蒸し焼きにしてからフタを取り、ポン酢をかけて全体にからめて出来上がり。 

コツ・ポイント

冷めても美味しいので、お弁当にもピッタリ! 

このレシピの生い立ち

発酵食品(塩麹)+発酵食品(柚子胡椒)で作ってみようと。 

    産経より。

ぐるなび総研「今年の一皿」発表 世相反映、健康志向で注目の料理は…

食に関する調査・研究を行っている「ぐるなび総研」(東京)は4日、2017年の世相を最も

反映した「今年の一皿」に「鶏むね肉料理」を選んだと発表した。

総研は選定理由を「日本では鶏もも肉が好まれる傾向にあるが、社会の高齢化や健康志向の高ま

りを背景に、高タンパク・低脂肪の胸肉に注目が集まった」などと説明。今年は、野菜や果物

に肉類を合わせて主食とするサラダも人気で、胸肉は具材にも活用された。

授賞式には、鶏肉主産地の鹿児島県の三反園訓知事も出席し「さまざまな調理法も編み出されて

いる。どんどん食べて」とアピール。ゲストで登壇した東京疲労・睡眠クリニックの梶本修身

院長は「鶏の胸肉に含まれる成分『イミダペプチド』には、疲労を取る効果がある」などと解

説した。

準大賞は「強炭酸ドリンク」。他に「チーズタッカルビ」「日本茶スイーツ」「Neo日本酒」

「フォトジェニックサンドイッチ」が候補だった。

     ミコばあちゃんの夜食

きつねうどん みかん こぶ茶

    ではご機嫌よろしゅうに。