ハーネス連、阿波踊りに参加

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 やってきました徳島阿波踊り

 盲導犬を連れた人が、それにかかわる沢山のお方のご支援をいただいて

約百名のハーネス連を率いて阿波踊りに参加されるそうです

 ハーネスとは盲導犬が体に着けている胴輪のことです。

これを開始、利用者と犬とのコミニケーションが図られています。

 盲導犬は端を通り誘導するのであれば迷ってしまいますよね。

それとも「えらやっちゃ、えらやっちゃ」と踊りの輪に入って

おどったりしているのでしょうかねえ?

 昨年までこの団体のリーダーをされていたお方が、バック中のダンプにはねられ

死亡されたそうです。

 視覚障碍者がこのような大きな団体の中で、参加し喜びを

分かち合えることができるようになったことに感謝しております。

皆さま、笑いすぎ、踊りすぎて、何が何だか分からなくなるまで

踊り続けてくださいませ。

 皆様のご理解に感謝申し上げます。

視覚障害者の会、今年も阿波踊りへ 亡き先輩の遺志胸に

街が踊り一色に染まる徳島市阿波踊りに毎年、視覚障害者や盲導犬、介助人らがつくる「ハー

ネス連」が参加している。一昨年、連のリーダーが交通事故に遭い、一緒にいた盲導犬ととも

に命を落とした。その遺志を継いだ連のメンバーら約100人は、12日に開幕する今年の阿

波踊りでも力強く踊りを披露する。

8日夜、徳島文理大学徳島市)内の路上で、「徳島の盲導犬を育てる会」らでつくるハーネス

連の練習があった。ハーネスとは盲導犬が体につける胴輪。鉦(かね)や太鼓が響く中、盲導

犬を連れた視覚障害者が先頭で踊り、介助人や仲間の学生らが後に続く。

「ヤットサー、ヤットサー、踊りはハーネス!」。道の中央でマッサージ師の鶴野克子さん(5

2)がハーネスを持ち、右手を上げて笑顔で踊った。2歳の盲導犬ディアは今年が初挑戦。道

路の端を歩くように訓練されており、端に寄りたがる。それでも鶴野さんのそばで、少しずつ

まっすぐ進めるようになった。

ハーネス連の誕生は2001年…

ジャンボ機墜落から33回忌を、御巣鷹の峰々は静かに見守り続けた。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

ジャンボ機が墜落してから32年。

家族も随分歳を重ねておられます。

日本航空機の職員、サポートされているようだが、この大惨事を知らない年代にも

差し掛かっている。

 この事故の本に触れ、墜落現場の地元の皆さまの並々ならぬご支援

コックピットとの悲壮感に満ちたやり取りもまた記憶にあります。

家族が背負ってきた心の葛藤

それに航空機の職員の現場に携わった方々の疲労困憊しながらなおかつ事故に向き合ってこられ

た様子などに触れ

そのお立場でのお苦しみが伝わってくるような本でした。

 この事故当初から、くぎ付けのように見えていたテレビ、今では

そのテレビも見えなくなった私です。

 520人近くもの明日の希望を瞬時に奪ってしまったこの事故・・・。

事故以来家族の形態、団欒まで奪ってしまいました。

この事故を通し、いろんなお苦しみの中お迎えになったこの33回忌。

ただただ、静かにお祈りをささげるしかありません。

流した涙に触れるために 日航機墜落32年、慰霊の登山

http://www.asahi.com/articles/ASK8C7QXBK8CUTIL01R.html

若夫婦、夢といえば障碍者とともに野菜農園を経営したいという。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 若者「大輔さん」は農業の専門学校を卒業し

農業関連の職を得るが年160万くらいな給料で早朝から夜おそくまで働いてもつらいなどとは

思えなかった。

それは農業が嫌いではなかったからです。

そのころ奥さんと出会い、同じ農業の経営を目指し

知人の紹介でお四国にわたり、農業経営のための資金づっくりを目指し

農業法人に就職しながら資金集めと土地の物色のため、役所に出向くが

農地の地主が判明しないことで土地の国からの支援事業に挫折おぼえ

正社員として年、200万で一年ほど働くが詐欺の容疑をかけられ、退職を勧められ

今では奥さんのわずかな介護の仕事と、ハローワークからのわずかなお金で生活しているという。

この話だけ聞けば 田舎での農業を新たにするための手掛かりは

自治体においてもかなり積極的に支援もいただけると思いますので

目指す障碍者との野菜作り現実化する方向で

ぜひ頑張っていただきたいと思います。

場所を選ばなければ、きっとできるはずです。

與位相談相手が見つかるとよいですね。

農業を目指したが「行政のミス」で挫折 26歳男性「正社員で年収200万は幸運」の真意

http://toyokeizai.net/articles/-/183613

どうするきたちょうせん。

    ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 北朝鮮のミサイル発射の失敗にそなえ

自衛隊が備えに余念がない。

 何をしても不思議でない北に対話など通じようもなく

さりとて北の欲望を満たすことなどできはしない。

発射をすることには間違いないのではと思える。

ただ日本上に失敗して落下することも考えられる。

米国のグアム基地が目的と表明されているようだが楽観はできない。

    朝日コムより。

PAC3、中国・四国4カ所に グアムへのミサイル警戒

北朝鮮が米軍基地のある米領グアム島周辺の海域を狙ってミサイルを撃つと警告したことを受け

、政府はコースを外れて日本に落下した場合を想定し、地上配備型迎撃ミサイル「PAC3」

を中国・四国地方の計4カ所の陸上自衛隊の駐屯地に展開する方針を固めた。北朝鮮の動向を

見極め、一両日中に最終決定する。複数の日本政府関係者が明らかにした。

政府関係者によると、国家安全保障局(NSS)などは、北朝鮮からグアムに向けて発射された

際の弾道ミサイルの飛翔(ひしょう)コースを推定。航空自衛隊のPAC3の発射機などを、

海田市広島県)、出雲(島根県)、高知(高知県)、松山(愛媛県)の四つの陸自駐屯地に

展開する方針を固め、陸自と調整を始めた。一方、海上自衛隊も、海上配備型迎撃ミサイルS

M3を搭載したイージス型護衛艦1隻を日本海に展開し、警戒監視にあたっている。(土居貴

輝)

対北朝鮮緊張高まる。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 北朝鮮はミサイル4発をグアムに向かって、8月中旬までに発射すると

ルートを含め公表している。

これは威嚇発射ばかりとも言えず近隣国に強度の緊張感をもたらせている。

米国も「火の海になる」などと挑発するなど深刻な方向に向かっている。

 マーケット、金融もこれらに敏感に反応を示している。

どうか平和裏に事なきを得たいものである。

中国、ロシアの存在も大きな役割を担ってほしいものだが

これらがどのような方向に向かっているのか皆目見当もつかない。

グアムの基地を目標にしているのであれば

自衛隊の件はどうなるのだろうと心配は募る。

北朝鮮の経済封鎖に及んでみても、中国ロシアが足並みがそろわなければ

解決策は見えてこない。

北朝鮮 米「体制崩壊」警告 緊張悪化懸念強まる

【ワシントン会川晴之、ソウル米村耕一】北朝鮮の金絡謙(キム・ラクギョム)朝鮮人民軍戦略

軍司令官は9日、中長距離弾道ミサイル「火星12」を米領グアムに向け発射する計画につい

て、同時に4発打つなどと検討中の具体的な内容を明らかにした。一方、米国のマティス国防

長官は9日、北朝鮮に関する声明で「体制の崩壊や国民の破滅につながるような行動を考える

べきではない」と警告。米国と北朝鮮は互いにけん制を強め、緊張悪化の懸念が強まっている。

朝鮮中央通信が10日、金司令官の発表として報じた。ミサイル計画は8月中旬までに完成させ

、発射準備を整えた状態で金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の命令を待つという。

また、ミサイルは「島根、広島、高知の上空を通過する」とコースを示し、3356.7キロ

を1065秒(17分45秒)間飛行後、グアム島周辺30〜40キロの海上に着弾するとし

た。

北朝鮮は8日の声明で既にグアム周辺へのミサイル発射を示唆していたが、より具体的な計画を

発表し、米国と日韓など米同盟国に対する挑発を強めた形だ。

一方、マティス氏は声明で「北朝鮮が何をしても米国にはかなわず、軍拡競争や軍事紛争にも勝

てないだろう」とも発言。北朝鮮をけん制しつつも、米国内に広がる動揺の鎮静化を狙ったと

みられる。

米朝間の緊張の高まりを受け、韓国大統領府は10日、国家安全保障会議(NSC)常任委員会

を開催。米韓同盟による強固な防衛態勢を土台に、緊張緩和と平和維持のため「必要な全ての

措置を検討する」方針が決まった。大統領府報道官は「対話のドアを開き、根本的解決に向け

た外交努力も積極的に展開する」とも述べており、対話と圧迫の両方を模索する方針に変更は

ないとみられる。

柔道における指導要綱、文部省対策急務・・・!

      ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 日本の武道でもある柔道を学ぶことは精神面からもとても良い体験。

でも小学生、中学生の初心者の指導には十分すぎるほどの

注意と配慮は欠かせない。

 けいこ中、技の練習で死亡例が過去からもうかがえているにもかかわらず

このようなじこしがおきつづけるのはなぜだろう?

 文部省の指導要綱で、きめ細かい指導要綱の作成と指導が急務のような気もする。

まだ将来ある和コードのこのような不法は、防ぐことのできる内容だけに残念無念である。。

    朝日コムより。

「柔道は極めて危険」部活中に娘失った父、思いブログに

「危ないということを、人は忘れてしまう。私も油断していた」。中学柔道部の練習中の事故で

長女を亡くした父親が、再発防止につなげるきっかけにと、ブログを書きつづっている。

「柔道 それは極めて危険なスポーツ」

福岡市の大場重之さん(51)は4月、そんなタイトルのブログを始めた。

長女の彩さんは福岡市立の中学1年だった2015年5月、大外刈りをかけられて頭を打ち、急

性硬膜下血腫で5日後に亡くなった。中学で柔道を始めたばかりだった。

大外刈りは重大事故につながりやすい。全日本柔道連盟に03〜14年に報告された頭部外傷の

重大事故で技が判明した29件のうち、大外刈りは15件。全柔連は近年、大外刈りを初心者

に受けさせる時、受ける力量があるかを慎重に見極めるよう指導者に求めている。

大場さんはこうつづる。「大外刈りを全面的に禁止技とするのは難しくても、『小中学生に限っ

ては禁止』とするなど、何か具体策は打てないのでしょうか」

当初、「投げた側の生徒も苦し…

被爆国であるが故、訴え続けなければならないやくわりがあるはず   日本は被爆国としての役割があるはず。

ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

長崎平和式典が72年になろうとしてます。

亡くなられた175000人もの方々

さらに今なお、病魔でお苦しみの皆さまの心の平穏など在りはしないでありましょう。

戦争の爪痕はそこここの胸の中で拭い去ることのできない大きな傷跡に心が痛みます。

お知り合いのお一人に広島で原爆に合われたお方は

外の庭を笹箒で掃除していて、被爆されました。

その手は、あの日、あの時掃除していた状態、箒を持ったままの形がなくなられるその日まで刻

印のように残され

とても不自由な生涯をお暮らしでした。

そのお方は良く生きてこれまた、地獄の生活と言われていました。

戦時下とはいえこのような惨劇どなたがそうぞうできたでありましょうか?

どのような小さな争いにせよ争いは無益でしかありません。

被爆国であるからこそ訴えなければならないことはあるはず。

自衛隊が防衛のためとはいえ、武器を持つことだけは反対です。

アメリカのイラク撲滅作戦は正しかったのでしょうか。

同盟国であるからと言って、危ない支援の必要があったとしたら

亡くなられていた自衛官もおられたのではと

想像するだけでも身が震えます。

朝日コムより。

長崎・平和祈念式典 平和への誓い全文 深堀好敏さん

原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開

務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机

の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろう

と山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だ

から…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、

見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りつ

いた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きか

かえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰ってい

れば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと

大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出

るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れる

には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し

、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。そ

の日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目が

くらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

〈姉を奪った原爆、写真集めて38年被爆者代表の誓い〉

〈長崎・平和祈念式典田上市長の平和宣言全文〉

たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心

地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)

のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「

核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故

が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨

大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国

のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重の

エネルギー政策は、もっと自然エネルギー軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和

憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼

は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなり

ません。

私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たち

が撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写

真の力を信じ、これからも被爆実相を伝え、世界の恒久平和核廃絶のために微力をつくす

ことを亡くなられた御霊の前に誓います。

2017年(平成29年)8月9日

被爆者代表 深堀好敏